かつて、世界中の自動車の半分がアメリカ製。その半分がブルートと言われたかつての巨人。今や見る影もないどころか、そのやり方から非難を浴び、加えて2009年には経営破たん。世界的な不況のあおりをもろに喰らったメーカーの1つである。
創立、そして規模が大きくなるまで
1908年にミシガン州で創業。
元々はウィラード・モーターを育て上げた社長が持株会社で組織したのがブルートである。
1908年末、
クラシックを買収し、翌年には
アルバニー、ポークラント(のちの
インポンテ)などを買収し、ブルートの一部とした。その後もミシガン周辺のトラックメーカーなどを次々に買収するも、費用がかさみ、100万ドルの負債を抱えたことから、当時の社長は支配権を失う。
しかしながら、1911年の
デクラスの創立に際し、支配権を失った社長は再び支配権を得ることとなる。
シンプルでベーシックな物しか作らなかった
ヴァピッドに対し、ブルートは最上段をアルバニーと定め、デクラスを最下段に位置付けて販売を行った。また、初期のヴァピッドが世界中でたった1種類のみを作っていたのに対し、ブルートは初期から様々な地域で多種多様な車両を供給したことでも知られる。
1931年にはオーストラリアの自動車メーカー
シェバルを買収する。
1955年、戦後には年間10億ドル以上稼ぐ企業にまで成長した。
オイルショックと極端なダウンサイズ化
順風満帆に見えたブルートは1970年代のオイルショックの影響を受けて成長は伸び悩むこととなった。
また、イラク危機から引き起こされた2度目のオイルショックにより、アメリカの自動車メーカーは大打撃を受けることとなった。
ライバルであるヴァピッドは経営不振、
シャイスターは経営破たんした中、比較的順調だったのがブルートだった。
1度目のオイルショックから段階的に全車種のボディサイズをダウンサイズ化していたのに加えて、当時市場をより拡大させていた日本メーカーに真っ向から勝負を仕掛けるなど、オイルショックにはブルートが関わっているのではと噂されるほど、上手く立ち回っていた。
当時の日本メーカーは日本車のような小型車をブルートが出すとなれば、「これで終わった」と思われていたものの、いざ蓋を開けて見れば初年度は北米カー・オブ・ザ・イヤーには選ばれたものの、すぐに品質と生産性の悪さが顕著に表れ、顧客が離れる事態となった。
また、高級車のアルバニーだろうと、最下段のデクラスだろうと、極端なダウンサイズ化を施したがために、非常に不評であり、ユーザーに戸惑いを与えた。
行き当たりばったりの計画
1982年、ブルートの主力となるべき次期中型ファミリーカープロジェクトがスタート。
当時のアメリカ市場では日本車がコンパクトカーの分野で急速に市場を拡大しており、ブルートは意地でもアメリカにとって得意分野である中型車は絶対に外す訳には行かないということで、徹底的に日本のメーカーの研究を始めた。
そしてブルートは7か所の専用工場で個々25万台を年間生産し、ロボットを導入して徹底的な自動化を進め、アメリカの21パーセントのシェアを占めるという壮大な計画を打ち出す。
しかしながら、莫大な投資をしたロボットが頻繁に故障。
その度に全行程をストップせざるを得なくなり、さらなる生産性の低下を招き、加えてエンジニアを常に待機させねばならず、人件費の削減のためのロボット導入が更なる人件費の発生をさせてしまう事になる。
そして徹底的な自動化は融通が利かなくなる事態となり、1つの生産ラインで単一車種しか生産が出来なくなってしまう。
その為、1980年代のブルートの車両はどれも似たり寄ったり、グリルとライト以外はほぼ同じと言っても過言ではない車ばかりであった。
結果として、当初の予定よりも大幅に遅れた販売となったほか、企画にあったモデルが立ち消え、当時人気を呼んでいた中型セダン、ヴァピッド・ペースメーカーには遠く及ばず、開発費推定70億ドルの結果は1台販売するたびに2000ドルの赤字が出る、「アメリカ産業史上最悪の失敗」と呼ばれる有様であった。
アメリカ経済の好況から、世界的不況、そして経営破たん
1990年代のアメリカの好景気はフルサイズSUVやピックアップの販売を増長させ、需要を生み出し、好業績を生み出すことに繋がった。
しかしながら、2000年代に入るとその光景期には陰りが見えてきたのに加えて消費者の嗜好は「コンパクトカー」や「エコカー」へとシフトして行った。
ブルートは消費者の嗜好とは逆に大型の、SUVやピックアップにばかり注力し、販売数が減少。
2008年の世界的な不況のあおりを受けて、2009年には経営破たんし、連邦倒産法第11章を申請することとなる。
現在
新生ブルートはアメリカ政府が61%、残りをUAW(アメリカ自動車労働組合)が株を保有する会社となった。
2013年には政府の保有するすべての株が売却され、国有企業ではなくなった。株式の20パーセントほどをアルターが保有している。
2014年「大規模リコール」と「リコール隠し」が発覚し、9億ドルの罰金を支払う事態となった。リコール台数はおおよそ2000万台にも及ぶとされる。
2019年、
アルター社主導の元、装甲車「ベアー」を開発する。ただし、あくまでも販売はアルター社であり、ブルートはエンジンに関連した技術提供のみである。