1975年、当時
ブルートの副社長であった、ジョン・デュラコが、理想の車を作るためにブルートを辞職し、独立して自ら設立したのがデュラコ・オフィシャル・カーズである。
本社はミシガン州デトロイト、製造工場はイギリス・北アイルランド郊外にあった。
1982年に社長のジョン・デュラコがコカイン所持容疑で逮捕されるスキャンダルが発生したことにより(後に無罪)、会社は資金繰りが立ち行かなくなり、倒産に至った。
映画「バック・トゥ・ザ・パストシリーズ」での活躍によって、デュラコは1980年代を代表する著名なカルトカーとなり、21世紀の現代でも多くのカーマニアのコレクション対象となっている。
倒産後、DOCの設備を取得した西行寺財閥は、現在もデュラコのオーナーに修理用パーツを供給し続けており、1台丸ごと新車を組み立てることも可能である。
2007年、デュラコを再生産することを明らかにした。
しかし、近年の衝突安全基準や排出ガス規制等に合わせて設計を変更することは困難であり、再生産車では車検に適応し一般道を走らせることはほぼ不可能なため、展示用や富裕層のコレクターズアイテム的な目的で出荷されている。
DOCはアメリカのテキサス州郊外に工場を建設し、そこで新デュラコを再生産することを計画している。
オリジナルのデュラコには電装系や配線などにトラブルがあったが、新バージョンではそれらは改善される予定である。生産台数は、月20台とかつてのDOCと比べると減るものの、ファンからの期待は高いようである。
2020年、西行寺財閥が買収したシャイスターのブランドである
ピルグリムの傘下として組み込まれ、2022年より、PHVモデルおよびEVモデルが新規で製造されることとなった。