最終更新: nonoji2002 2018年03月29日(木) 16:15:08履歴
創業からヴァピッドの買収
トーマス・アイランドの手により1917年に創業された。アイランドはアルバニーの創業者の1人で、アルバニーがブルートに買収された後も同部門の責任者を務めていた。
第一次世界大戦中、 アイランドは政府からの要請で航空エンジンの生産に乗り出そうとしたが、ブルートに反対されたため、ブルートを辞して、自らエンジンメーカーのダンドリアリー・モーターカンパニーを設立した。 ダンドリアリーは終戦までに6500基の航空エンジンを納入している。
戦後、ダンドリアリーは高級車メーカーとして再出発を遂げた。
アイランドはかつてのアルバニーの高性能なV型8気筒車を開発したノウハウを活かし、それを上回る時速80マイル(=約130km/h)を達成可能な「スーパー・アルバニー」ともいうべき高性能高級車を、ダンドリアリーブランドで実現しようとしたのである。
1920年9月に完成した最初の試作車は90PS以上の高出力で実際に80マイル・クラスの最高速度を実現、徹底した品質管理と群を抜いた性能によって大きな前評判をとった。
しかし、最初のダンドリアリー「モデルD」は発売当初こそ注目を集めたが、スタイリングが原因で販売実績はほどなく急落した。
加えて戦後の不況や合衆国政府による戦時中の利益に基づく追徴課税がダンドリアリーを直撃、激しい財政難に遭遇し、その結果、1922年、ダンドリアリーはヴァピッドに買収された。
買収後もアイランドはダンドリアリーの責任者を務めていたが、ヴァピッドとの意見の対立からわずか4ヵ月後には会社を辞してしまう。
アイランドの辞職を機に、ダンドリアリーはヴァピッドの高級車ブランドとして本格的に組み込まれていく事になるが、ダンドリアリー・モーターカンパニーはヴァピッドの子会社として1940年まで存続し、その後はヴァピッドのダンドリアリー部門に吸収・再編されている。
メタファー、初代ヴァーゴの登場
1936年、ダンドリアリーは「メタファー」の投入によって、上位中級車市場(アッパーミドルクラス、もしくは高級車内の廉価クラス)にも進出。
その斬新な流線型のスタイリングと相まって大好評をもって迎えられた。メタファーはアメリカ車一般に流線型のスタイリングが普及する嚆矢となった車種として、自動車史上に名を留めている。
メタファーは、ボディを社外コーチビルダーで限定生産するのではなく、系列コーチビルダーでの鋼鉄製ボディ集中生産で、高級車だが実質的に大衆車・量販中級車同様の大量生産方式を完全導入した早い事例となった(高級車でもある程度大きな生産規模を確保し、大量生産システムを適用することは、限られた例外を除き、21世紀初頭まで一般的となっている)。
相前後して限定生産車の性格が強い最高級車モデルDKの生産は1940年に終了。他の高級車ブランドでも同様な風潮が生じ、自動車メーカー系でない独立コーチビルダー各社は衰退への道を辿る。
初代ヴァーゴはこのメタファーの特装車両が原型となって登場した車両である。これによって生まれたダンドリアリーのデザインポリシーは後年まで受け継がれ、リ一部の例外を除けば、同時代のアルバニーの華やかさに比べるとより落ち着いたデザイン傾向を持つようになった。ともすれば同一視されがちな両車であるが、アメリカ市場では別々の個性を持った高級車として認識されている。
第二次世界大戦後から現在
トーマス・アイランドの手により1917年に創業された。アイランドはアルバニーの創業者の1人で、アルバニーがブルートに買収された後も同部門の責任者を務めていた。
第一次世界大戦中、 アイランドは政府からの要請で航空エンジンの生産に乗り出そうとしたが、ブルートに反対されたため、ブルートを辞して、自らエンジンメーカーのダンドリアリー・モーターカンパニーを設立した。 ダンドリアリーは終戦までに6500基の航空エンジンを納入している。
戦後、ダンドリアリーは高級車メーカーとして再出発を遂げた。
アイランドはかつてのアルバニーの高性能なV型8気筒車を開発したノウハウを活かし、それを上回る時速80マイル(=約130km/h)を達成可能な「スーパー・アルバニー」ともいうべき高性能高級車を、ダンドリアリーブランドで実現しようとしたのである。
1920年9月に完成した最初の試作車は90PS以上の高出力で実際に80マイル・クラスの最高速度を実現、徹底した品質管理と群を抜いた性能によって大きな前評判をとった。
しかし、最初のダンドリアリー「モデルD」は発売当初こそ注目を集めたが、スタイリングが原因で販売実績はほどなく急落した。
加えて戦後の不況や合衆国政府による戦時中の利益に基づく追徴課税がダンドリアリーを直撃、激しい財政難に遭遇し、その結果、1922年、ダンドリアリーはヴァピッドに買収された。
買収後もアイランドはダンドリアリーの責任者を務めていたが、ヴァピッドとの意見の対立からわずか4ヵ月後には会社を辞してしまう。
アイランドの辞職を機に、ダンドリアリーはヴァピッドの高級車ブランドとして本格的に組み込まれていく事になるが、ダンドリアリー・モーターカンパニーはヴァピッドの子会社として1940年まで存続し、その後はヴァピッドのダンドリアリー部門に吸収・再編されている。
メタファー、初代ヴァーゴの登場
1936年、ダンドリアリーは「メタファー」の投入によって、上位中級車市場(アッパーミドルクラス、もしくは高級車内の廉価クラス)にも進出。
その斬新な流線型のスタイリングと相まって大好評をもって迎えられた。メタファーはアメリカ車一般に流線型のスタイリングが普及する嚆矢となった車種として、自動車史上に名を留めている。
メタファーは、ボディを社外コーチビルダーで限定生産するのではなく、系列コーチビルダーでの鋼鉄製ボディ集中生産で、高級車だが実質的に大衆車・量販中級車同様の大量生産方式を完全導入した早い事例となった(高級車でもある程度大きな生産規模を確保し、大量生産システムを適用することは、限られた例外を除き、21世紀初頭まで一般的となっている)。
相前後して限定生産車の性格が強い最高級車モデルDKの生産は1940年に終了。他の高級車ブランドでも同様な風潮が生じ、自動車メーカー系でない独立コーチビルダー各社は衰退への道を辿る。
初代ヴァーゴはこのメタファーの特装車両が原型となって登場した車両である。これによって生まれたダンドリアリーのデザインポリシーは後年まで受け継がれ、リ一部の例外を除けば、同時代のアルバニーの華やかさに比べるとより落ち着いたデザイン傾向を持つようになった。ともすれば同一視されがちな両車であるが、アメリカ市場では別々の個性を持った高級車として認識されている。
第二次世界大戦後から現在
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