幼少期
1998年、イギリス・ロンドンにてルーマニア人の父親とイギリス人の母親との間に生まれたとされているが、現代に生きる人間ながら幼少期に関する資料が乏しく、真実であるかどうかは不明。
レミリアは幼少期から他の子供達とは一線を画する才能を有していたようで、11歳までの初等教育を終えると、すぐにケンブリッジ大学入学を目指して勉強を始めた。
同時期に両親を亡くしているようだが、やはり正確な資料が不足しており、事実であるかどうかの確認は未だに取れていない。
学生時代
前述の通り、レミリアは幼少期より非常に優秀な学力を持ち、2010年、弱冠12歳でケンブリッジ大学に飛び級入学した。なお、この時の同期には後に共にスカーレット・エレクトロニクスを立ち上げることとなる
パチュリー・ノーレッジ、
十六夜咲夜(同じく飛び級入学)がいる。入学後も抜きん出た成績を残したレミリアは、14歳でケンブリッジ大学を首席卒業。大学卒業後、自身とパチュリー・ノーレッジ、十六夜咲夜の3人でスカーレットグループの前身となるスカーレット・エレクトロニクスを設立した。
Scarlet、Moonlightの開発
2012年10月、初のPCとなる「Scarlet」を発表。低価格高性能を売りとしたこのPCは瞬く間に注目を集め、発売1ヶ月でファケードとフルーツコンピュータの人気PCに迫る売り上げを記録、現在に至るまでのスカーレット・エレクトロニクスの人気商品となった。更に2013年2月には初のOSとなる「Moonlight」を発表。扱い易さが好評を呼び、爆発的な勢いでシェアを獲得していった。こうしてIT業界における超新星として颯爽と登場を果たしたスカーレット・エレクトロニクスは、同年3月にロンドン証券取引所へ上場。15歳にして世界的成功を集めたレミリアは、一躍時の人となった。
世界的IT企業への成長、新たな事業の開拓
2013年末にはスカーレット・エレクトロニクスはファケードやフルーツコンピュータと並んで世界三大IT企業と称されるまでに成長を遂げる。この年のPC販売台数ではファケードに次ぐ2位となっており、既にスカーレット・エレクトロニクスは世界を代表する企業となっていた。しかし、この成功ではまだ満足していなかったレミリアは、更なる成功を追い求め、新たな事業の開拓を進めていくこととなる。
自動車産業への参入、スカーレットグループ設立
2014年8月、レミリアは自身の17歳の誕生日に自動車産業への参入を発表する。世界的IT企業の自動車産業参入は、当初驚きを持って迎えられたが、この時点では成功を予想している者はほとんどおらず、大半が失敗に終わるとの推測を立てていた。12月に入ると、スカーレット・エレクトロニクスは企業史上初となる自動車「ドラキュラ」を発表し、自動車産業へと参入。同時にIT部門のスカーレット・エレクトロニクスと車部門のスカーレット・カーズが分業化され、会社はスカーレットグループへと名前を変えた。
欧州から世界の大企業へ
スカーレットグループは1月に初の海外支社をロスサントスに設立すると、2015年2月に食品部門への参入を発表し、スカーレット・フーズを設立。グループ企業としての基盤を確固たるものとしていく。自動車産業でも「ドラキュラ」をはじめとした複数の車種がイギリスを中心に好調な売れ行きを見せ、レミリアは会見において「数年以内にスカーレットグループを世界一の企業とする」ことを明言した。
2015年にBFの排ガス不正問題が発覚すると、スカーレットは一気にカリンに匹敵する世界的自動車メーカーへと成長を遂げていく。レミリアは勢いに乗じて石油部門、マテリアル部門、ゲーム部門、工業部門を次々と設立した。当初は事業を一気に広げ過ぎではないか、との指摘もあったが、これらの部門全てが成功を収めると、そういった批判も次第になくなっていった。更に、スカーレット・エレクトロニクスは2017年度のIT企業番付において遂にファケードとフルーツコンピュータを追い抜き、1位を獲得した。こうしてスカーレットグループは2020年、レミリアの公言通り遂に世界一の大企業と呼ばれるまでに成長を遂げることとなる。
現在
現在レミリアはスカーレットグループの会長として、世界各国を飛び回る生活を送っている。イギリス・ロンドンに紅魔館と呼ばれる巨大な豪邸を構えているが、ここに滞在していることは稀であり、一年の大半を海外で過ごしている。最近は特にアメリカでの市場開拓に力を入れており、西海岸のサンアンドレアス州に滞在していることが多い。米
アルター社のCEO
風見幽香や
IAA長官の
射命丸文、
西行寺財閥代表
西行寺幽々子らとは個人的な交流を持っており、度々プライベートを共にしている姿が目撃されている。