創業者はスイス出身のレーシングドライバー、ルイ・デクラスとブルート設立に大きくかかわったウィリス・B・ブルートで1911年に設立された。
1920年代、ヴァピッドの前身メーカーが生み出したモデルVがベストセラーとなると、高級車に似せたより近代的なデザインと豊富なカラーバリエーション(モデルVは黒1色しか設定が無かった)展開で対抗し、実用本位で旧態化したライバルを圧倒し、ブルートはヴァピッドを凌駕すると世界最大の自動車メーカーとなった。
第二次世界大戦、1950年代の黄金期を経て、長らくブルートのブランド階層の最底辺に位置しながら、真っ当な基本設計とニーズを的確にとらえたスタイル戦略でアメリカ・ナンバーワンのブランドの地位を保っていた。
しかしながら、1970年代に入ると、オイルショックの影響を受けて、他の兄弟ブランドと共に小型化、軽量化を余儀なくされ、以後ドイツメーカーや日本メーカーと連携していくこととなる。
北米以外の地域では
シュバルのリバッジ車を製造・販売していたが、2000年代に入ると大きく揺れ動くこととなる。
韓国の小字自動車を傘下に収め、韓国ブルートを発足させ2005年にはヨーロッパで展開されていた小字ブランドを廃止。デクラスに転換した他、アジアやラテンアメリカなどの新興国市場でもブルートブランドで販売するようになった。
その後、ブルートは北米向けとそれ以外の地域向け車種の統合を進め、主力車種を世界戦略車としていった。
欧州においては、韓国工場から欧州へ輸出して賄われた。
しかしながらブルートの他ブランドとの棲み分けができず販売は低迷。2013年には2015年までにデクラスブランドの展開を中止することを発表した。