アメリカビッグ3メーカーの1つ。ビッグ3の中では最も規模が小さく、幾度となく経営難、経営不振を経験。現在はスカーレットの実質的な子会社となっている。
セミエンジン
1950年代にハイパワーなエンジンとして投入されたのが「SEMI」エンジン。ホットリングレース等のアメリカのモータースポーツに積極的に参加していた。
ヴァピッド・ドミネーターから始まったポニーカーを基にしたマッスルカーの流行から、同社のブランドから販売されていた「ガントレット」や「ハンマーヘッド」が人気となった。
1度目の経営危機
拡張路線に走り、その結果各国様々な中小メーカーを買収した結果、グループ内で競い合うという始末になり、吸収合併のメリットを見出すことが出来ず、メーカーは経営不振に陥る。加えて、ドイツ車や日本車の北米市場への台頭に加えて無理な経営拡大が品質の低下を招き、リコールの多発。そしてオイルショックが追い打ちをかけて、深刻な経営不振となり経営資本が渇する状況に陥った。
新しい社長の就任と他社との業務提携
そんな事態から元ヴァピッドの社長リー・アレンコッカを就任させる。その経営手腕から、瞬く間に経営不振から脱却する。
特に同社が開発した小型車「Gカー」はシャイスターの経営をV字回復させるまでに至り80年代半ばには完全に立て直すことに成功した。
80年代の終わりには当時フランスのフレール傘下で「カニス」ブランドを保有する
ユナイテッド・モーターズ・コーポレーションを買収。
当時UMCが経営不振に陥っていたことから4位であった同社を買収しても他の2社を上回ることは出来なかったものの、販売網を組み込むことで販売力の拡充に繋がり、またカニス・セミノールが予想外のヒットを生み出し、以降「カニス」が同社に大きな売り上げをもたらすことになる。
90年代にはマイバツ社と共に「ジルコニウム」ブランドを立ち上げる。また、ピルグリムではマイバツ社の車両を販売した。
また、イタリアのランパダーティとも業務提携をし、共同開発したクーペを販売した。
べネファクター・シャイスター時代
しかしながら、「Gカー」プラットフォームの使い回しなどから、再び経営不振に陥る。
1998年にはべネファクターと”対等な関係”での提携を結ぶ。しかしこれは実質的な買収であり、また業績的に好業績だったのは初年度のみであり、以降はべネファクター、シャイスターのどちらかが不振に陥っている。
「PMP600」が誕生したのはこのべネファクターとの提携後で、以降PMP600はシャイスターのフラッグシップとして存在している。
大型クラスを中心としたラインナップが災いし、2006年の原油高で再び経営不振に陥り、お互いでお互いをお荷物と感じるようになったこと、赤字が11億ユーロにも上った。
この頃から経営不振に陥り、一時期は経営破たんするのでは、と噂されていたが、べネファクター・シャイスター時代には経営破たんすることはなかった。
経営破たん、スカーレットの実質的な傘下へ
べネファクターとの提携を経て、解消されたのちシャイスターはさらに経営不振に陥る。
2020年には完全に経営破たんし、連邦倒産法第11章の適用をリバティーシティの連邦倒産裁判所に申請。
アメリカ政府が10パーセントの株を保有し、英スカーレットが20パーセント、UWA(全米自動車労働組合)が55パーセントを保有。
スカーレットには持ち株比率の引き上げが可能で、加えてアメリカ政府から受けた公的資金を完済すれば発行済み株式の最大51%を取得し、子会社化できる条項も盛り込まれた。
現在のところは49パーセントに留まっているが、これはスカーレットのCEO、
レミリア・スカーレットの意向によるものである。